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 幼い頃から風邪をひいても口に出したことはなかった。くしゃみをしてても、咳き込んでいても、両親は朝、家を出て行く。

 扉の閉まる音を台所で聞きながら、だるさを押し込み学校へ行く仕度をするのはいつものことだった。

「もう平気なんですけど」
「ばーか、まだ寝とけ。数学の授業なんてかったるいだけだ」
「それが仮にも教師が言う台詞ですかね」
「俺は英語の教師だもん」
「……」

 悪気もなくそう言い放つと、彼は膝上に置いた雑誌をめくった。保健室に熱い夏風が吹き込んでくる。

 彼の後ろにある白いカーテンが風をはらんでふわりと揺れた。冷房の効きすぎた室内には他に人影がない。二人きりの保健室で、俺たちは会話もなく無為に時を過ごした。

「先生」
「なに?」
「ありがと」
「俺、なにか礼言われるようなことしたっけ?」

 首を傾げる彼に、傍に居てくれて嬉しいとはさすがに口にできず、代わりに「別に」なんて言ってしまう。彼の目が再び雑誌に吸い込まれた隙に、胸の内で百回の「好き」を唱える。途中、彼と目が合ったとき、想いまで見抜かれた気がして顔が熱くなった。



                      end

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