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小さな世界の物語。

虫達のお話。

 ここは、小さな小さな世界。そう、注意深く観察していなければ見過ごしてしまう、そんな、小さな小さな世界。

 その小さな世界で起こった、不思議な不思議なお話。

 ドン!

 ある朝。君達人間には全く聞こえないだろうけど、この世界の住人が震え上がるような、巨大な音が突然鳴り響きました。一体何だろう・・・住人達が恐る恐る家から出てみると、そこに・・・一匹の、片羽根の千切れた大きな大きな茶色の蟷螂が倒れていたのです。

「う、うっ・・・」

 呻き声を上げ、それでも蟷螂は必死に起き上がろうとしていました。地面に倒れること、それはすなわち死を意味すること。それがこの世界の常識。どんなに大きくて力の強い蟷螂だって、この世界の食物連鎖から逃れることは出来ないのです。

「早く、早く起き上がらなくては・・・身体が・・・重い・・・力が入らない・・・」

 必死に藻掻く蟷螂。その様子をこの世界の住人達が遠巻きに見ていました。

「餌が暴れているぞ!」
「誰かとどめを刺せ!」

 どんどん弱っていく蟷螂に警戒心も薄れ始め、住人達はどんどん勢い付き、今にも蟷螂に襲い掛からんとしていました。その時、一軒のドアが開き綺麗な黄金色の髪の住人が姿を現しました。

「やれやれ、朝から何の騒ぎ?」
「いいところに来た、蜂!片羽根の千切れた蟷螂が倒れている!早く仕留めろ!」
「仕留めろ?この僕に命令するとはいい度胸だね。あんたから先にとどめ刺してあげようか?」

 蜂は、その両目を見開き蟻に詰め寄りました。

「じ、冗談だ、すまない・・・」

 蟻は、そそくさと逃げ出しました。蜂が現れ、多くの住人達がまた遠巻きに蟷螂を取り囲みました。少しでもおこぼれに与ろう、そう、住人達の誰しもが思っていたからです。

「ふぅ、意地汚いなぁ。死にかけの蟷螂喰おうだなんて、少しはプライドないのかなぁ。」
「おやおや。その蟷螂真っ先に喰おうとしてるのは、どこのどなたでしょう?」
「蝶!」

 蜂が見上げた先、赤い花が咲き乱れる枝の側に、水色の綺麗な羽根の蝶が止まっていました。

「喰う?僕が?」
「だって、あなた達蜂は肉食でしょう。いいご馳走ではありませんか。」
「こんな死にかけの蟷螂、ご馳走でも何でもないよ。」
「では、早くとどめを刺して、遠巻きに涎垂らしている方々に差し上げてはいかがです?」
「僕は、命令されるのが大嫌いなんだ!この蟷螂をどうするかは僕が決める!」
「随分偉くなったな、蜂。」

 いつの間に・・・蜂が全く気付かないほど素早く、二匹の頭上を飛んでいたのは、蒼い尾をした蜻蛉でした。

「蜻蛉!」
「ようやく襁褓が取れたばかり、だった気がするが?」
「それ、私も言おうと思っていたんです。」
「うるさい、黙れ!」
「黙るのはお前だ、蜂。」
「うっ・・・」
「厄介なのが来ましたよ。」

 蝶が眉間に皺を寄せそう言った先に、赤と黒の縞模様をした蜘蛛が腕組をして睨んでいました。蜘蛛は無益な捕食が大嫌いで、普段は蜘蛛の糸も張らず自分より力のない虫も襲いません。この辺一帯を縄張りとしていて、時に餓えている者に対し施しさえ厭わない、ちょっと変わった蜘蛛でした。

「ほぅ、蟷螂か。ん?」
「僕が先に見つけたんだからな!」
「・・・それが、どうした?」
「くっ・・・」
「蜘蛛に凄まれちゃ言い返せないか、蜂?」

 蝶と蜻蛉が蜂を見下ろしながら笑いを堪えていました。

「その蟷螂、どうするつもりだ?」
「どうするって、放っておけばそのうち死ぬだろ。そしたらみんなで分けるよ。」
「そうか・・・」
「あんたにもあげるから心配しなくていいよ。」
「だったら今貰う。」
「ちょっと、待って!何、それ!!?」
「聞こえなかったか?今貰うと言ったんだ。」
「だから、何で今あんたにあげなきゃいけないのさ!!?」
「それは・・・」
「言うな・・・蜘蛛・・・」

 今まで一言も発しなかった蟷螂が、か細い声で呟いた言葉。

「言わなくて、いい。」
「しかし・・・」
「これも自然の掟、抗ってはいけない。」

 何だか様子が可怪しい・・・頭上の蝶と蜻蛉がヒソヒソ話始めました。

「あの蟷螂と蜘蛛、知り合いなのか?」
「どうやらそうみたいですね。でもあの蟷螂、ここらの住人じゃないですよね?」
「そうだな。見たこと、ないな。」
「蜻蛉、ちょっと一緒に散歩でもしに行きませんか?」
「・・・ああ、いいぜ。」

 そんな会話がなされていた頃、地上では蟷螂を挟んで、蜂と蜘蛛の睨み合いが続いていました。

「俺に構うな、行け。」
「それは、出来ない。肩を貸す、立てるか?」
「ちょっと!何するの!」
「今貰う、そう言っただろう。」
「だから何で・・・」
「俺の糸は強力だ。お前一匹絡めるのに一分とかからない。どうする、吐き出して欲しいか?」
「クソっ!これは貸しだからな!」
「わかった。必ず返す。」

 蜘蛛の糸、特にこの赤蜘蛛の糸が強力なのは、蜂も十分過ぎるほど知っていました。これ以上逆らったら自分が殺される・・・ここは引き下がるしかありません。蜂は強かで賢い虫なのです。

 蜂が完全に見えなくなった時、蜘蛛は大きな声で周りにこう言いました。

「すまないが、この蟷螂はやれない。諦めてくれ。」

 普段蜘蛛に散々恩恵を受けている住人達は、それを嫌とは言えません。快く蜘蛛の願いを聞き入れ、自分の家に引き上げて行ったのでした。

「大丈夫か、蟷螂・・・?」
「すまない。」
「何を言ってるんだ。とにかく、俺の家に・・・」
「ああ、ありがとう・・・」

 片羽根の千切れた蟷螂はその夜酷い熱を出して、ずっとうなされていました。千切れた付け根の出血がなかなか止まらず・・・そんな蟷螂を蜘蛛は一睡もしないで、一晩中介抱し続けました。

 朝が来ました。

「・・・ん・・・」
「気付いたか、蟷螂?」
「ここは・・・?」
「俺の家だ。」
「お前が介抱してくれたのか・・・そうか、ありがとう・・・」
「いや、俺は・・・あの時の借りを返しただけだ。」
「ああ、ありがとう・・・」

 蜘蛛がまだ若かった頃・・・今のように分別がなかった頃、蜘蛛は自分の欲や衝動にまかせるまま糸を吐き出し、掛かった虫達を手当たり次第には食べ、玩具代わりに殺していました。そんなある日、蜘蛛は蟷螂の縄張りにうっかり近付き、一面に張られた罠に引っ掛かってしまったのです。自分の無謀さを嘆いたところで後の祭り。蟷螂に喰われ終わる命・・・そう思った時、一匹の蟷螂が蜘蛛に近付きこう言いました。

「逃げろ・・・」
「えっ!?あんた、今何て・・・」
「いいから早く逃げろ。ここには二度と近付くな。わかったらさっさと行け!」
「わかった。この借りはいつか返す!」
「借りだなどと思わなくていい。ただ・・・」
「ただ、何だ?」
「喰われる者の気持ちがわかるなら、無益なことは二度とするな。」

 それが二匹の誓いでした。蜘蛛は蟷螂との誓いを一日足りとも忘れたことはありません。約束を守り弱い者や小さな者を守り、穏やかに暮らしていたのです。

「俺が言ったこと、守ってくれたんだな、ありがとう。」
「それは・・・借りを返しただけだ。」
「そうか・・・」
「それより、誰にやられた?」
「それは・・・」

 蟷螂が言葉を濁し視線を逸らそうとした時、家のドアが勢いよく開きました。

「兄さん!」

 開け放たれたドアから入って来たのは薄茶色した蟷螂の弟で、その後ろに蝶と蜻蛉が立っていました。

「心配したよ、兄さん!生きてて、良かった・・・」
「すまない・・・」
「蝶、蜻蛉・・・これは、どういうことだ?」
「いや、ちょっと遠くまで散歩してきただけですよ、私達は。ねぇ、蜻蛉?」
「そうそう!そうしたら、山向こうの川近く、蟷螂同士の縄張り争いがあったって噂聞いて。もしかしたらその蟷螂と関係あるかもしれない、そう思って行ってみたんだ。」
「行ってみたって・・・自分達が殺されていたかもしれないんだぞ!」
「まぁまぁ、それは言いっこなし!」
「それで、どうした!」
「援軍呼んで行ったよ、その縄張りに。そしたらその子が兄さん探してて。これはもしやと思い連れて来たってわけ。」
「その援軍とは?」
「僕だよ、僕!」
「お前、蜂!!!」
「全く、獲物助けるため仲間に頭下げるなんてさ、有り得ないんだからね、本当!」
「そうか、お前達が・・・」
「これで貸し二つ!忘れるなよ!」

 蜂はプリプリ怒りながら、でもちょっと嬉しそうに頬を赤らめ出て行きました。

「相変わらず、素直じゃないですね、あの子は。」
「本当だ。」

 蝶と蜻蛉はケラケラ笑いました。

「それより蟷螂。これからどうするんだ?」
「さぁ、どうするかな。俺は、縄張り争いに敗れた身だからな。まぁ、あそこには戻れないだろう。」
「でも兄さん、それはあいつらが卑怯な手を使って・・・!」
「たとえそうだとしても、俺が敗れた事実は変わらない。」
「そうか・・・そうだな。」

 自然の掟は厳しく、どこまでも厳しいのです。

「だったら、貸してやった借り、返してもらおうか。」
「蜻蛉!お前、何を言い出す!?」
「ああ、そうですね。私も返して欲しいですね。」
「蝶!お前まで!」
「兄さんは傷付いているんです!こんな身体の兄さんに何を返せと・・・」
「何、簡単なことですよ。」
「そう、簡単なことだ。今度はお前がここを守ってやればいい。」
「どういうことだ・・・」
「縄張りを追われたんでしょう?」
「幸い、この辺りに蟷螂の縄張りはないからな。兄弟で暮らすにはもってこいじゃないか?」
「蜘蛛だって、借りが返せていいでしょう?」

 蜘蛛が仲間達にどれだけ好かれているか、蝶も蜻蛉もちゃんと知っていました。そんな蜘蛛に改心させてくれた蟷螂が悪いことをするはずがない、蝶も蜻蛉もそう思ったのです。

「でもお前達、どうしてこのことを・・・」
「知っているかって?」
「僕が話しました、ごめんなさい。」
「いや、それは構わないが・・・」
「あなたのことは、兄から良く聞かされていました。山向こうの森に、とても優しい赤蜘蛛がいると。」
「そうか・・・」
「だから兄の行方がわからなくなった時、もしかしたらここにいるかもしれない、そう思ったんです。でも僕にはここまで来る勇気がなくて・・・」
「そうか・・・」

 深い傷を負い、それでも尚蟷螂が蜘蛛に会いたかった理由、話したかったこと。それは、「助けたことを、もう借りだなんて思わないで欲しい」ということでした。もし蜘蛛が、蟷螂の言ったことをずっと気にしているのなら、それをいつか解かなくてはいけない、そう思っていたからです。

「どうするのかは、あなた達で決めたらいい。」

 さて・・・その後蟷螂の兄弟がどうなったのか、それは・・・

 ほら、良く見て下さい。目を凝らせば見えてくるでしょう?小さな小さな世界の物語が・・・

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