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そういう君はいつだって

そういう君はいつだって。


思春期の頃の思い出とは、決まって美化されているか不必要に劣化されているかのどちらかだ。

忘れたくない最高の思い出は自分の都合のいいようにあやふやにほどよくいい具合にいろいろ混ぜて脚色され、逆にそうでもないものはより酷さに酷さを重ねて悪くなっていることが多い。

喧嘩番長よろしく武勇伝や、モテ期といった花盛りなんかは特に。

そしてさらに色恋が絡むとそれは加速する。

最初に感じた運命なんてものはトップクラスに入るのではないだろうか。

正しく脳が勘違いした感情。

それに振り回されて青春の全てと言っていいほどの情熱を注いだものにとっては、綺麗にアルバムが仕上がっていると言える。

「なんかすっげぇ早く終わった、ミラクル...」

真夏の夕方、一日の業務を終えて買ったばかりの時計に目をやった笠原碧史(かさはらあおし)は、いつもより格段に早い直帰に目を丸くさせた。

一部上場の医療器具販売会社で営業マン兼修理員として勤務している彼は、日々酸欠になりそうなほどの激務をこなしている。

今日も大きな大学病院をいくつか回り、頼まれていた医療器具の修理に勤しんでいたのだが、故障も交渉も思いの外スムーズにいったため想定していた時間までに業務をすべて終わらせていた。

報告書など提出書類も不備なく終了させていて、明日の朝イチで上司に出せばいい仕上がりになっている。

「あんまり早いとなんか、調子狂うな」

手持ち無沙汰とでもいおうか。

この時間は仕事しているつもりで、体も脳も心臓もその段取りで今もまだ動いている。

なので仕事を終え、残業もなにもなくすることがないというのは次の行動に困ってしまうのだ。

空いた時間を有意義に使えるような日常はひさびさなため、あえて今するべきなにかを見つけるのも困難。

飯────は、時間的にまだ早く胃袋が受け付けないので却下。

どこかへふらっと出掛ける────も、微妙な時間なので気が乗らない。

彼女を呼んで────は、最近別れたばかりなので物理的に無理。

やっぱりすることがない。

行く宛もなく、何気なく歩いてたまたま辿り着いた噴水のある公園に入り、ベンチに腰を下ろす。

喫煙できるコーナーの隅、ポケットからタバコを出すと口にくわえて火をつける。

一ふかししてからネクタイを緩め、シャツのボタンを上から二つ目まで外した。

汗ばんだ肌にムシムシした空気が触れる。

ぼんやり、吐き出した煙を見つめながら空を見上げると思わず目を奪われた。

「うわー....だいだいすげぇ」

見上げた空は見事なまでの橙色。

空ってこんなだっけ...。

久しく見ていなかった空に目を細める。

眩しい光を放ってそこにあって、広大すぎて吸い込まれそうな感覚に陥った。

強い橙色に、燻らせた煙がうやむやにされる。

こんなにゆっくり、こんなに確かな橙色を最後に見たのは確か高校の頃。

二年間付き合った彼女と別れた日は、今と同じ燃えるほどに赤い空だった。

鳴きそうなくらい胸が押し潰されそうになったのも、そういえばあの日が最後だった気がする。

「なるほど、夕焼けはオセンチになりやすいってのも、あながち嘘じゃないんだなぁ」

あの日は川蝉や夏特有の音が聞こえていたが、今は聞こえない。

代わりにあるのはクラクションや、機械的な雑踏。

ちりちりと、フィルターまで焼けてしまったタバコを備え付けの灰皿に当てて押し消した。

苦い煙を吸い込んだ胸は、甘酸っぱい思い出と混ざって複雑な味に変わってしまっている。

初めて恋愛を知って、初めて恋人らしいことをして、そして初めて失恋した。

青臭い事を言えば、生涯こいつしかいないなんて安直な考えに夢を膨らませた初めての恋。

想いが濃厚すぎて、しばらくは似た女の子を探して無駄に付き合ったりもしたくらいに、人生に大きく関わっていた女性のことが思い出される。

あの頃の自分がどこからともなく現れ全身を侵食していく。

彼女は元気だろうか────。

思い出すのも久しぶりな存在。

今でもしっかり、声も容姿も覚えている。

高校生らしい自転車の二人乗りや、道路交通法甚だしい原付の二人乗りなど、思い出したらきりがない淡い思い出。

あの頃の自分達が世界のど真ん中で、二人を中心に世界が回っているとさえ陶酔した懐かしい日々。

ドキドキと甘酸っぱくなる裏で、美化しきれない現実も思い出される。

忘れたくないのではなく、忘れてはいけないこととして残された記憶。

手痛い失恋の記憶。

二度と彼女を特別な存在として触れることができなくなったあの日の境目も、こんな空の色と高さだった。

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