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三文字。

以下本文

 いわゆるサラリーマンと違って、農家は自由だ。英語で言うならフリーダム。働く時間も自由なら休日も自分で決める。
 それは、津軽のリンゴ農家も例外ではない。
 枝のせん定方法や植えるリンゴの木の品種、袋かけの有無、果ては地面に生える雑草の種類まで・・・。
 自由である、ということは何もかもを決める必要があるということだ。が、どんなに計画を立てても、思った通りに事が運ぶのは不可能に等しい。
 それが、自然相手の仕事の難しさであり、楽しさでもあるという。
 自由なのは仕事に限った事ではなく、髪型や服装、車の装飾にまで及ぶ。派手な装飾のトラックを見かけることも珍しくない。
『誰にも文句をいわれる筋合いはない』というのが農家のおっさんの共通認識なのだ。
 家族の生活を、その手で、その身ひとつで養うということへの矜持表れなのだろうかと俺は思っている。
 ごま塩頭に日焼けがよく似合う、農家一筋の父と、とにかくよく笑う母に、俺の性についてカミングアウトしたのは、およそ二年前のことだった。
 性について、つまり俺がゲイだってことを伝える勇気が俺にあったのか、今となっては疑問だ。『勇気』だなんて二文字では済まない、多くの心理的事柄が、頭の中や心の中で渦巻いていて、伝えるか伝えないか、その二択が数ヶ月間俺の脳内を支配し続けた。
 伝えない選択はあったし、死ぬまで黙っていようかと何度も思った。ただ、周りの環境が、人が、文化が、それを俺から退けた。
 きっかけはそう、牛乳を買い忘れたとかなんとか、そんな些細な事だったと思う。俺は東京に就職して最初の年だった。記録的な猛暑を、テレビが伝えていたのを覚えている。話がいつの間にか『いつ結婚するんだ』とか、『同級生はとうに子供がいる』とか『どうやって生きていくつもりだ』とか、話のスケールがどんどん大きくなって、互いに後に引けなくなっていて、俺は俺で考えてるのに、そんなことをいちいちツっこまれて、イライラして、言ってしまった。そう、いってしまった。
「しかたないだろ、俺ゲイなんだよ」
 がやがやしていた空間が、テレビの消音ボタンを押したかのようにシーンとなった。
「ついにいっちまった」そう思って、消えてしまいたくなった。

田舎は、セクシャルマイノリティーなんてことを理解も容認もしてくれるはずがないのに。
 こんな閉鎖された場所で、人々の中で、俺のような奴の居場所は無いのに。
 サイアクだ。
 だけど、そんな俺の思いとは裏腹に、俺の両親は、間の抜けた顔で時間が止まったように動かなかった。
 さらにサイアクなことに二人は『ゲイ』そのものの知識が無かったのだ。
 そこから説明すんのか、俺が。
 ますますサイアクだった。
 子孫を残せない。それは過疎の進むこの地では絶望を意味する。周りの人は何も言わない。言ってはくれない。いたたまれない気持ちに苛まれながら生きろと、俺は両親に言ったも同然だ。
 母は泣いていた。肩を震わせて泣いていた。父は、父は何も言わずに新聞を手に取ると台所を離れ、居間であぐらをかいてそれを静かに読み始めた。
 でも、確かに言っていた。背中で言っていた。哀しいと。
 相方の結人(ゆいと)は二つ年下で俺とは対照的な性格をしている。
 就活をしていた頃、希望商社の最終面接が始まる時間に起きてしまい、ぼさぼさの頭で一言、
「ま、いっか」
 働くことにまるで執着が無い。人生そのものにこだわりがない。
 道が行き止まりなら途中まで引き返せばいいし、迷ったら迷ったでそれでも楽しいと思えてしまう、超楽観的性格の持ち主なのだ。
 現在は書店でアルバイト生活をしている。
 一方の俺は自動車販売店の営業に就いて二年、仕事も一通り覚えてきたところだ。
 だが毎日思う。本当にこれでよかったのか? 俺の生きる場所はここだったのか? このために生まれてきたのか? 他に、他になにか、やるべきことが、成すべきことがあるんじゃないのか?
 自らの一生に特別な意味を見いだしたいという欲求が、おこがましさを遥かに凌駕していた。
 そんな時、実家から連絡が入った。父が倒れた、と。

 父は脳梗塞だったが幸いにも症状は軽かったため、農作業をするのも支障はないということだったのだが。
『収穫が間に合わないから手伝ってほしい』
 とのメールが届いたのが一週間前。
 身近に親戚はいるが、経験が浅く高齢でもあるため、作業がはかどらないのだ。
 ほぼ毎日、母から電話がきた。
 当然、結人が異変に気づいた。
「青森、帰んないの?」
「俺が帰るって言ったら、お前、ついてくるだろ」
「うん、ついていくね。だめ?」
 だめに決まってんじゃん。
 会社の休みと有給休暇を使って、新幹線の切符を二人分買い、エメラルドグリーンの車体に乗り込んだのが今日の昼前。
 車内で駅弁を食べ、伊勢神宮と出雲大社が同じ場所にあると思いこんでいた結人に、必死に違いを教えているといつのまにか眠っていた。
 夢を見た。
 (俺と結人が初めて出会った日のこと。)
 大学四年の春だった。その夜、俺はひどく沈んでいた。どれくらい沈んでいたかというと、正に、地球の滅亡を心から願うほどに。世の中の全ての幸福という幸福を、一握に潰してしまいたいと強く望むほどに。
 その日、大学の帰りしなに女に告白された。女に。地球上の半分の性別を持つ人間。俺にとっては、選べない性に。選ばれてしまった。
 その女性は、俺より二つ歳下で(結人と同級生だったと後で知った)多くの男性に求められるような、とても美しい女性だった。
 俺は断るしかなかった。天が決めたこと。俺にはどうすることもできない理由だ。
「俺なんか、花園さんにはもったいないよ」
 うそを、ついた。
 つきたくもない、うそを。
 せめて真実を、言いたかったのに。
 彼女の噛みしめた唇を、泣くまいと強く引き結ばれた眉を、俺は忘れまいと思った。
 それは俺の十字架だ。
 そのまま大学近くの居酒屋に入った。飲めないのにビールを飲んで、つぶれた。
 そこで働いていたのが、結人だった。
「お客さん、もう閉店だよ。ビール一杯で、酔いすぎだよ」
「ん」
 揺り動かされて目を覚まし、時計を見て驚く。午前一時半だった。
 そんなに寝ていたのか。
 立ち上がろうとするがうまくいかずふらつくのを結人が支えてくれた。
「やさしくしないでくれ」
「え?」
 よく覚えていないのだが、そう言ったらしい。
 目が覚めたら、結人のアパートのシングルベッドに二人で寝ていた。裸だった。
 いつのまにか車窓の風景が様変わりしていた。
 弘前駅についたのは午後三時半を過ぎた頃だった。
「ここが善(ぜん)ちゃんの生まれ故郷かー」

 白い息を吐きながら暮れ方の空に向かって結人がしみじみとそうつぶやく。
「そうだよ」
 東京生まれ東京育ちの結人にはもの珍しいのか、路線バスの中から目につくもの、耳に入るものに喜々として声を上げた。
「次はコンヤマチカド、コンヤマチカド」
「コンヤマチカド?」
 俺はバスの前方を指す。
「ああ、紺屋町角ね。へー」
 この町には、昔ながらの地名が多く残っている。地元民には別段気にもならないが。
 桜であまりにも有名な弘前公園そばの紺屋町角からさらに北へ向かってしばらくいくと、最寄りのバス停に着く。
 バス停から小路に入るといきなりリンゴの木々が道の左右に現れる。
「寒っ」
 結人が身震いをした。
 辺りはすっかり暮れていた。
 時刻は六時前だったが、秋はあっという間に日が暮れる。民家など無い、街灯もまばらな田舎道をとぼとぼと歩く。
「お前、ほんとに良かったのか?」
 夜道を歩きながら、結人に聞いた。
 寒さのためか、今更ながら帰ることが怖くなっていた。結人に助けを求めたかった。
「なんで? 善ちゃんの育った家、見てみたいよ、オレ」
 りんごも食べたいしと、小さなリュック一つで青森まで着いてきた二つ年下の同居人は、そういって俺の右手を握る。
 我が家のリンゴ園は岩木山がよく見える。標高一六二五メートル。この高さでも独立峰であるがゆえの存在感が、人々の心に雄大さを感じさせている。
 その山の頂がかすかに白くなり、山肌の紅葉が燃えるように美しい十一月。主力品種のふじの収穫が最盛期を迎えていた。
「おかえり、寒かったでしょ」
「うん」
「電話くれれば迎えにいったのに」
「うん」
「ごはん、食べるでしょ」
「うん」
 家族のごくありふれた会話を目を丸くして見ていた結人が、その長身ですっと前に進み出た。
「はじめまして。野中結人です。善一朗さんとはとても仲良く暮らしています。善ちゃんの料理すごくうまくて、お母さんの料理を真似て作ってるって言ってました。だから今日はすごく楽しみにしてきました」
「おい・・・」
 お前は嫁か。
 結人の我関せずといった顔に、虚を突かれた母は大笑いした。
 この家を出て以来、久しぶりに聞く母の笑い声だった。

 翌日から俺たちはリンゴ園に通っている。
 ぱりっと小気味いい音を立てて、真っ赤に色づいたリンゴをもぎ取っては手籠にいれていく。
 まず木の下枝から始め、だんだんと木の上の方を、梯子を使って収穫する。
「善ちゃん、楽しいね」
「そうかい」
 北国育ちのためか俺の返答は常に短く、要点だけをいうところがあった。そのせいで仕事では苦労をしたし、恋愛でもうまくいかないことが多かった。
 でも、直すつもりはなかった。これが俺だから。
 そんな俺を、結人は好きでいてくれる。口げんかもするが、仲直りはいつも俺の手料理で、内心それが嬉しかったりする。
「休憩だよー」
 母のよく通る声がした。
「おーう」
 農家はたいてい、午前九時と午後三時には作業休憩をとる。
 敷物を広げて、あるいはテーブルを設置して。それぞれの園地の『お茶会』が開かれている。
 俺たち三人がコーヒーを飲んでいると、父が遅れて運搬車にリンゴの入った手籠を積んで戻ってきた。
 年季の入った運搬車は、オイルの臭いを漂わせてぎこちなく停車した。
「お父さん、はい」
「おう」
 俺が子供の頃から変わらぬやりとりが、今もそこにある。綻んだ作業着が、津軽の農業の厳しさを静かに語っているようだった。
 父は俺が帰ってから一日半、母を介してしか会話をしていない。
 俺がいない間に結人とも少しだけ言葉を交わしたようだったが、それも一言二言で、無反応に近い反応だったらしい。
 それでも結人は父と会話をしたと喜んでいる。わかってくれていると。
 これがあと一月近く続くのかと思うと頭が痛い。今更ながら、来たことを後悔していた。
 母が結人と仲良くしてくれていることがせめてもの救いだが、母も本当のところはどう思っているのか、確かめることは到底出来なかった。
「ふふふ。本当におもしろいね、結人君」
 母が結人の言った冗談に笑い転げていた。
「息子が二人できたみたい」
「そうですかぁ」
 結人は相変わらずのボサボサ頭でのんびり応える。
「ねぇ、お父さん」
 母が、父に振り返って言う。
 俺は心臓が跳ねる思いがした。恐る恐る父を見やる。
「んだな」
 父が、コーヒーを飲みながら言った。
 その津軽弁が、たった三文字の言葉が、俺の生き方が間違ってなんかいないんだと、お前らしく生きていいんだと、ずっと、お前の味方だと、伝えていた。
「善ちゃん?」
 俺は泣いていた。
 結人が不思議そうに俺をのぞき込んでくる。
 母は何もいわずにティッシュを渡してくれた。
 この世に、生きていていいと言われた。
 俺は寒風の中白さを増す岩木山を見ながら、決意を固めていた。

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