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喫茶青ぞら

喫茶青ぞら 店長の談

 時代に取り残されたような三角屋根の洋館が、田圃の中にぽつんと建っている。
 田舎の空気はうまいと、都会から来た人は言う。地元に住む者に言わせれば、正直そうじゃないと思う。特に、春は何かと臭い。冬が無臭だった分、いろいろの臭いが鼻孔を襲う。菜の花はヨダレ臭い。黄色くて綺麗、なんて思ったこともない。カメムシ級の臭さに顔をしかめる。埃臭さも尋常ではない。春の嵐と共に、道の土埃がぶわっと舞う。道行く新入生たちのせっかくの真新しい制服も、入学式ですでにちょっとザシザシするくらいだ。
 それでも、ここに住む輩は皆、春を喜ぶ。顔をしかめながら、春を言祝ぐ。人も、人ならざる者も。
 そんなことを思いながら俺はベットから抜け出す。さて、今日の天気は?
 俺こと小野真悟はベット横のテーブルに置いてある携帯端末を操作する。画面に今日の天気は曇り一時雨となっていた。
 全く毎日々、三寒四温も甚だしい。昨日の最高気温が十度、その前日は一度って、驚きを越えて殺意を覚える。人類はそのうち地球に殺されるだろう。無邪気な季節に殺されてしまうのだろう。
 身支度を整えて店の二階にある住処から外階段を使って下へ降りる。俺はこの店、喫茶青ぞらの店長として働いて三年になる。俺の仕事を一言で説明するのは難しい。実はこの店は本業の隠れ蓑のために使っている。本業は別にあるが、本業をここで教えるわけにはいかない。そんなことをしたら俺が半殺しの目に遭うだろう。俺は痛いのは嫌いだ。だから内緒だ。
 店があるのは民家もまばらな所だが、景色だけは良い。西側には残雪をかぶった岩木山がそびえる。そのてっぺんに、笠雲がかかっていた。二、三日中には雨が降る。今日は晴れそうだ。
 店の前に立ち板チョコのような扉の鍵穴に古めかしい鍵を差し込む。ガチャ、と重苦しい音を立てて鍵が抜かれる。取っ手にやや体重をかけて扉を押すと、りーんと涼やかな音色が、まだ誰も招いていない店内に響く。
 店に入りきしむ板の間を歩いて上げ下げ窓に近づき、そっとカーテンを開ける。店が、春の陽を浴びて目覚める。
「おはようございます」
 俺は、店に日課の挨拶をした。



 開店準備も整い、開店まであと十五分となった八時十五分、黒塗りの高級車が店の横の駐車場に入るのが見えた。まもなくしてリンゴの形を模した店のドアベルが美声を響かせ、男が一人入店してきた。
「おはよ、真悟」
「いらっしゃいませぇ」
 他のお客様には決して言わない形式的な挨拶を雑に返す。
 男は三十代前後、細身で長身、形のいいスーツ姿にコートを羽織り、満面の笑みでカウンター席の最奥に腰掛ける。男はいつもそこに座る。
 いつも薄笑いを浮かべるこの男は俺の実兄であるが、職業柄、青田のり夫という偽名を名乗っている。本名を知る必要は皆無である。
 新聞を広げるのり夫のもとにブレンドを出す。
「ありがとう。精が出るね。人と妖の均衡を守れ、なんて上官の無理難題に答えて。さすが私の弟だ」
 コーヒーを一口啜り、のり夫が労いの言葉を言ってくる。いちいち笑顔で言うのがうすキモイ。つまり薄気味悪く、気持ち悪い。しかも俺の本業をさらっとばらすなんて、サイテーな兄だ。せっかく内緒にしようと思ったのに。
 だが、それもいつものことだ。そう、こんなことはなんてことない、日常なのだ。この店には人も妖もそれ以外もやってくる。そういう店として人以外には知れ渡っている。何も知らないのは人間だけだ。
 そして今日も日常が、はじまる。
 ここは津軽、妖たちの住まう街。喫茶青ぞらの窓からは、水を張り始めた田んぼがきらめいている。

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